農業の常識を覆し、唯一無二の存在を目指す
あさい農園の創業とこれまでの経緯、現在の事業内容について教えてください。
あさい農園は1907年に創業し、先代の父の代まで100年にわたりサツキツツジという花木を生産してきました。私はそんなあさい農園の5代目として、創業から101年となる2008年に第二創業の形でミニトマトの栽培を始めました。
当時、花木の市場はピーク時の10分の1にまで縮小しており、会社は厳しい経営状態に陥っていました。そのため、「このまま花木の生産を生業にしていくのは厳しいのではないか」「社会の変化に合わせて自分たちも変わっていかなければならないがどうしたらよいか」と考えたのです。
そこから17年が経ち、現在はミニトマトを中心とした野菜と、キウイフルーツなどの果物を生産しています。父の代までは家族経営で5人ほどの会社だったのですが、今は500人の社員が一緒に働いてくれています。主軸のミニトマトは安定した長期多段どり栽培(1本の苗から長期にわたって何度も実を収穫する栽培方法)で日本トップレベルの生産量を誇っていますし、キウイフルーツなどの果樹栽培も成長しており、大規模の農業法人となりました。キウイフルーツの主要産地はニュージーランドなのですが、南半球のニュージーランドで収穫ができない時期は、北半球にある日本で私たちがカバーするというような提携を結んでいます。取り組み方次第で、組織は大きく拡大できることを実感しているところです。
株式会社浅井農園 代表取締役社長CEO 浅井雄一郎氏。
あさい農園では、「『常に現場を科学する研究開発型の農業カンパニー』を目指す」というコーポレートフィロソフィーを掲げています。生産者でありながら、研究開発から取り組んでいることが私たちの強みです。
研究開発型にシフトした当時は設備もなく、本社もプレハブでした。世の中に新しい価値を生み出すために、2015年1月に研究のための温室を建設し、三重大学から博士人材を採用したのをきっかけに、現在のフィロソフィーが生まれました。私たちは私たち自身を農作業者ではなく、農業者であり、研究者、科学者でもあると捉えて、「アグロノミスト」(農学士)と呼んでいます。アグロノミストの集団になることが私たちの誇りであり、従来の農業や農家のイメージを覆したいという思いを持っています。日々成長しながら、「研究開発型の農業カンパニー」というオンリーワンのポジションを確立しています。
農園や農場は人手不足に悩むとお聞きすることが多いのですが、なぜあさい農園には人材が集まってくるのでしょうか。
私は会社という組織を1つの「箱」と捉えています。箱は私1人だけが所有していても世の中に価値を生み出すことはできません。会社には多くの人が関わり、それぞれの人生において大半の時間を投資していただくことになります。そのリターンとしては、賞与や給与、加えてやりがい、生きがいを感じられるかとなるわけです。ですので私はリターンを最大化することが会社の存在意義だと考えています。会社から得られるリターンが多ければ多いほど、たくさんの人が集まってきます。私はあさい農園という箱の価値を最大化するために様々な取り組みをし、この箱を使いたおしてもらいたいと思っています。
こういった考え方が今の社会にマッチしたことで、多くのスタッフがあさい農園に集まってくれているのだと思います。実際に自分の人生を豊かにするためにあさい農園を選び、好きなことを仕事にしながら楽しんでいるスタッフが多いですね。ベルギー、スウェーデン、ネパールなど海外人材も数多く働いています。
マイナスからのスタート、失うものは何もなかった
ミニトマトのハウス栽培では、オランダの栽培モデルを実践しており、ハウス内の環境をコンピューターで制御。甘いトマトを数多く生産するための研究を重ねている。
家業を継ぐことを幼少の頃から考えていらっしゃったのでしょうか。
子どもの頃から祖父や父の手伝いをしており、原体験として農業の仕事は好きでした。ただ、高校生の時に家業を継ぐことに反発するような気持ちが芽生え、様々な道を探ろうと思い、19歳の夏に米シアトルの種苗会社で3カ月間の海外インターンシップに参加しました。そこで大規模なビジネスとしての農業を目の当たりにし、憧れと危機感を覚えたのです。日本の農業はもっと変わらなければならないのではないかと、はっとしました。その後、バックパッカーをしながらアジア、欧州、北米、南米など30カ国ほど、世界中をめぐって視野を広げ、大学卒業後に経営コンサルティング会社に就職しました。その後、環境エネルギーのスタートアップ企業を経て28歳の時にあさい農園に入社しました。
入社されてからどのようにして第二創業に至られたのかについても教えてください。先代であるお父様などの理解は簡単に得られていたのでしょうか。
私が入社した時の経営状態は厳しく、債務を整理しなければなりませんでした。土地などの資産を売却すれば、周囲に迷惑をかけずに会社を畳むことはできたと思います。でも、どうせゼロになるのであれば、好きなことをしようと思ったのです。お金はもちろん、人もおらず、技術もない状況で、唯一あった経営資源が農地でした。そこで、農地を活用してミニトマトを育ててみようと考えました。雪が降っている寒い日に、植木用に使っていた古いビニールハウスの錆をこすり、ペンキを塗ってフィルムを貼り、一人でミニトマトの試験栽培を始めました。300平米の小さな規模でのスタートで、初年度の売上は200万円程度でした。何とかするしかない状況でしたので、黒字化するまで3年ほどかかりましたが、「成功するまで諦められない」という思いで必死に改善を続けました。
父親はありがたいことに、一切口を出さず、好きにしなさいという感じでした。父親が60歳で私が31歳の時に事業承継をしていますが、私が代表になってからも本当に口を出しません。そのうえ、人手が足りないと手伝ってくれます。私が新聞などに出ると、記事をクリップして保存しているようで、喜んでくれているようです。
お一人で黒字化までもってこられるのは大変だったのではないでしょうか。
この時が一番大変でしたが、楽しかった時期でもあります。自分で汗を流しながら前に進んでいる感覚がありました。私は新しいことに挑戦するプロセスが好きなんですよ。実は三重大学大学院の博士課程でトマトの品種改良の研究を始めたのもこの苦しい時期ですね。7年通って博士号を取得しました。未来を見据えて時間の投資ができたことが今につながっていると思います。家族の支えがあったからこそ、がむしゃらになれました。
ミニトマトが黒字化できてから売上1億円を超えるまでに、5年かかりましたが、次の5年で10億円を突破し、10億円を超えてからはより速いペースで成長できています。
次世代のために、成長し挑戦する
三重県度会郡玉城町と産地化連携協定を締結し、遊休農地を活用して本州最大級のキウイフルーツ園地を整備。2023年には玉城町産ゼスプリブランドのキウイフルーツとして出荷を開始している。
現在では大企業との協業にも取り組まれています。より大きなスケールの挑戦ができるようになる半面、難しい部分もあるのではないかと思います。うまく進める秘訣はありますか。
お互いを尊重し、結果を出すことだと思います。大企業は数年ごとに担当者が変わることが多いので、どうしてもそのたびに関係がリセットされてしまいます。ずるいことをせずにやっていくといいますか、根っことなる基本的な部分をしっかり守ることで担当者が変わったとしても良好な関係を維持することができます。そして、結果を出す。そうすることで対等な関係性がつくれます。
最初の協業は三重大学の教授からの紹介で、地元の製油会社と三井物産、あさい農園の3社で合弁会社を立ち上げたのですが、自社だけのリソースでは限界があるため、他の企業のリソースを借りながら、より早くビジョンを達成するための手段として、合弁会社設立を選びました。この会社では、製油会社の排熱を活用したカーボンニュートラルなトマトづくりを手掛けています。
同じビジョンに向かうためには、常に客観的な視点を持つことが大切です。持続可能で社会を前進させる魅力のあるプロジェクトであれば、投資したい人、一緒に汗を流したい人が集まってくれます。
客観的視点を持つことは簡単そうで難しいのではないでしょうか。
私自身は様々な経験を積んだことで物事を俯瞰して見られるようになり、他者からどう見えるかを正しく捉えられるようになったと思います。
「研究開発型の農業カンパニー」として新しい生産方法や仕組みをつくり続けていらっしゃいますが、日本の農業の課題についてはどう捉えていらっしゃいますか。
私は今、農林水産省の基本計画作成などに携わらせていただいていて、国の政策決定のプロセスに関われることをありがたく感じていますが、自分1人では日本の農業という大きな産業構造を変えることはできないんですよね。まさに今、米不足が問題になっていますが、日本の農業従事者は減少の一途をたどり、耕作放棄地も増え、食料自給率は38%と低い状況です。そういったネガティブな現状を少しでも変えていくには、農業がいかに重要な産業なのかを理解してもらう必要があります。自分自身がロールモデルとなり、取り組み方によって優れたモデルを作ることができる余地がまだまだあることを伝えたいと考えています。そのため、まずは自分たちが圧倒的に面白く、優れたモデルになるという意識を持って実践しているところです。
最後に、今後の展望をお聞かせください。また、仲間である経営者の皆さんにメッセージをお願いします。
私は2025年4月から三重大学の連携教授になりました。社内に連携准教授も3人います。あさい農園は三重大学と連携・協力に関する協定を結び連携大学院となり、よりアカデミックな箱へと進化しました。学生たちがあさい農園で研究開発をしながら博士号を取得できる環境づくりなど、次世代のための準備にもより力を入れ、研究開発型の農業カンパニーとして、今後さらに研究の質を高めていきたいと考えています。
生産についても、次世代のための基盤整備を進めています。東北、宮古島にも研究農場がありますが、新たに北海道に新しい農場を開発しています。さらに、海外への技術移転も進めています。ケニアに会社を立ち上げ、アボカドの生産開発を始める予定です。我々のノウハウを活かし、品質管理の徹底と新しい技術の導入で、今までより圧倒的に美味しく、しかもこれまでより安いアボカドを作り出します。手ごろな価格のアボカドが日本に流通すれば日本の消費者に喜ばれます。ケニアの農家にとっても、今までより収益が上がる仕組みができるので喜ばれるという設計を考えています。このように現地の人たちと一緒に産業をつくっていきたいと思っており、ビジネスを通して共に成長し、発展していく環境を作っていくことを目指しています。実は今度、ルワンダにも訪問する予定です。新しい産業づくりの挑戦が続きます。
挑戦することを恐れず、できれば楽しみたいですよね。何を準備すれば楽しめるのかを考えながら、私もこれからも挑戦しますので、皆さんにも常に挑戦を続けてほしいと思います。挑戦する力は個人や組織を成長させます。挑戦する力を引き出すにはどうすればよいのか。環境ときっかけさえあれば、人はエンパワーされます。エンパワーされる人を増やすことが経営者の役割だと私は考えています。それは自社の中だけで考えるものではなく、社会の枠組みの中でみんなで考えていくことではないかと思っていますので、「人の能力を引き出す環境ときっかけをいかに生み出していくか」――この非常に重要なテーマを一緒に考えていきましょう。
■プロフィール
浅井雄一郎(あさい・ゆういちろう)
株式会社浅井農園 代表取締役社長CEO 博士(学術)
1980年三重県津市生まれ。大学卒業後、経営コンサルティング会社を経て、あさい農園に入社。2008年から第二創業としてミニトマトの生産を始める。三重大学大学院でトマトのゲノム育種研究等に取り組み、2016年に博士号を取得。
■スタッフクレジット
取材・文:尾越まり恵 編集:日経BPコンサルティング