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新丸子で愛される店「BIG BABY ICE CREAM (ビッグベイビーアイスクリーム)」100%でない状況でも、全力でやりたいことに挑戦する。

100%でない状況でも、全力でやりたいことに挑戦する。新丸子で愛される店「ビッグベイビーアイスクリーム」
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榎並紀行

やじろべえ株式会社代表、編集者、ライター

概要

神奈川県・新丸子の商店街にある「BIG BABY ICE CREAM (ビッグベイビーアイスクリーム)」。2018年のオープン以来、「3世代で楽しめるアイスクリームダイナー」として地元を中心に愛されています。お店を切り盛りするのは、兄の吉田健太郎氏と、弟の吉田康太郎氏による、通称「健康兄弟」。健太郎氏が25歳、康太郎氏が23歳のときに開業したといいます。

若くして始めたことでさまざまな苦労もありましたが、「お店をやっている以上、つねに100%の状況はない」と、一つひとつの課題に向き合い乗り越えてきた彼ら。時には危機的状況に陥りながらも、むしろそうした状況を面白がりながら「やりたいこと」を貫いてきました。堅実なお店をつくるよりも、「失敗してもいいから、自分たちが本当に良いと思えるお店をつくりたかった」という康太郎氏の言葉はとても印象的です。

吉田兄弟は、いかにして「愛されるお店」をつくりあげているのか。これまでの歩みとこれからについて、康太郎氏にうかがいました。

      兄は美大卒業後NY、弟は大学の商学部へ。「後ろ盾がなかったからこそ、チャレンジできた」

       

      ——大学在学中の23歳のときに、兄弟でビッグベイビーアイスクリームをオープンされましたが、いつから二人でお店をやりたいと思われていたのか教えてください。

      子どもの頃から何となく、将来は兄と一緒に仕事ができたらいいなと思っていました。具体的にお店をやろうと決めたのは、僕が高校生、兄が大学生のときですね。当時、兄が通っていた美術大学のインテリアデザインのゼミで「飲食店をつくる」という課題があって、僕も店舗の模型づくりなどを手伝ったんです。そのとき、いつか一緒にお店をやりたいという目標が定まりました。当時、そのことについて兄と話し合ったわけではないのですが、お互いの気持ちは一致していたように思います。

       

      吉田康太郎氏

      吉田康太郎氏

       

      ——ご自身の進路は将来的な開業を見据え、お互いの役割を意識して選択されたのでしょうか?

      そうですね。実際にお店の内装やグッズなど、デザイン関係はすべて兄が担当しています。当初は僕も美大に行くことを考えたのですが、同じことを学んでも仕方がないかなと。むしろ正反対の道を選ぶことで、彼とは違う発想や考え方を持てるようになりたいと思いました。

      それに、二人とも美術やデザインの道に進んでしまうと、商品というより「作品」をつくるような方向性に行ってしまう懸念もありました。飲食店に限らず商品を作品ととらえると、どうしてもお店の自己満足に終わってしまう気がします。やはり商売というのは、お客さんあってのもの。それに加えて、時代の流れ、資金調達、人材の確保や育成など、さまざまな要素を総合的に考える必要があります。商学部に進むことを決めたのはそのためです。

       

      ビッグベイビーアイスクリームの店内

      ビッグベイビーアイスクリームの店内

       

      ——在学中、1年間ロンドンに留学され、帰国後すぐに開業されたそうですね。いきなり飲食店を始めるというのはリスクが高いようにも思えますが、どこかで経験を積むという考えはなかったのでしょうか?

      それはまったく考えませんでした。もちろん、修行を経たうえで30代、40代から独立される方も素晴らしいと思いますし、どちらが正解ということはありません。ただ、僕たちの場合は当時23歳と25歳だからこそおもしろいお店ができるんじゃないかと考えました。

      逆に、年齢を重ねると家庭を持っているかもしれないし、失敗したくないから思い切ったことができず、堅実なお店に落ち着いてしまう可能性がある。20代ならフレキシブルに対応できるかなと。

      ——帰国前に世界を巡り、現地の飲食店などを見て回られたそうですね。特に影響を受けたり、参考になったりしたお店はありますか?

      お店を回ったのはリサーチのためというより、そのときどきで気になるお店、興味のあるお店を訪ねていたら、結果的にリサーチになったということですね。それも、料理やノウハウを参考にするのではなく、自分たちがどんなお店をやりたいかのヒントを探していたという感じです。そのなかで、特に印象に残っているのは、ニューヨークの「Diner(ダイナー)」。ブルックリンの食文化を牽引してきたアンドリュー・ターロウさんのお店です。店内にはボックス席とカウンター、テーブル席があり、テーブル席には白いシーツがかけられていました。夜はさまざまな料理が楽しめ、昼はカフェとして利用できる。多種多様な人や世代が集まる、新しい時代のダイナーでしたね。

       

      ニューヨークでの様子

      ニューヨークでの様子

       

      あとは、飲食店だけでなく海外の古着屋、レコード屋、ジャズハウスやミュージックバー、ボウリング場など、あらゆる場所からも得られるものがありました。当時は自分のなかで価値観が偏らないように、なるべくいろんな世界を見て体験しようと思っていたんです。

      ——その体験が、いまのお店づくりにも反映されているんですね。

      そうですね。お店って「雑誌」みたいなものだと思うんです。ビッグベイビーアイスクリームであれば「3世代で楽しめるアイスクリームダイナー」というコンセプトが「表紙」で、そのときどきのアイスのメニューが「特集記事」。さらに、店内でどんな音楽を流すのか、どんなスタッフを揃えるのかなど、全体のカラーを編集していく。そのすべてのバランスが良い状態でないと、ちぐはぐなお店になってしまい、お客さんの心を掴めないのではないかと考えています。そして、その感覚を磨くためには、食だけでなく、さまざまなジャンルのことを知る必要があるのではないかと。

       

      兄弟旅行で行ったベルリンの様子

      兄弟旅行で行ったベルリンの様子

       

      ダイナー×アイスクリームで、誰もやったことがない店をやりたかった

       

      ——そもそも「3世代で楽しめるアイスクリームダイナー」というコンセプトは、どのようにして生まれたのでしょうか?

      僕たちは子どもの頃にフロリダとボストンに住んでいて、週末にはよく家族でダイナーに行き食事をしていました。アメリカのダイナーはまさに3世代が集まる食堂で、地域やお店ごとに個性がありつつも、一つのカルチャーとして変わらない価値を提供し続ける場所なんです。そんな場所に惹かれ、自分がお店をやるならダイナーがいいなと思っていました。

      アイスクリームを選んだのは、母方の家系が昔から横浜でこんにゃく屋を営んでいて、夏はアイスを製造・卸していたからです。最初のお店は自分たちのルーツを大事にしたいという想いもありました。

       

      当時のこんにゃく屋の様子

      当時のこんにゃく屋の様子

       

      ただ、僕らのように若いオーナーがおしゃれなカフェやレストランをやっても、誰も驚いてくれないじゃないですか。それに、僕自身も世の中にすでにあるものはやりたくないという思いがありました。そこで、「ダイナーとアイスの組み合わせは、まだ誰もやっていないんじゃないか」と。これが、「3世代で楽しめるアイスクリームダイナー」というコンセプトが生まれた経緯ですね。

      ——そこから、どう新丸子という場所にたどり着いたのでしょうか?

      最初は中目黒や代官山、渋谷なども検討していましたが、当時はまだ学生の身分で資金力もありませんし、金融機関から融資してもらえる額もあまり多くありません。そこで、最初は賃料が比較的リーズナブルな地域で、小さく始めようと考えました。

      そんななか、たまたま新丸子にあるこちらの物件に巡り合ったんです。大家さんが商店街の前会長さんで、若者に対してすごく理解のある方でした。「こういうお店をやりたいんです!」と話したら、ぜひやってみなさいと背中を押してくれて。

      それに、新丸子という街自体も、自分たちのやりたいことにピッタリと合っていました。昔ながらの住民もいれば、隣の武蔵小杉を中心に新しいファミリーも増えている。また、東急東横線沿線では家賃が割安なので、学生や若い人たちも多い。まさに、さまざまな世代が入り混じる、理想的な環境でしたね。

       

      ビックベイビーアイスクリームになる前の店舗の様子

      ビックベイビーアイスクリームになる前の店舗の様子

       

      ——コンセプトと地域性のマッチが大切ということですね。

      そう思います。仮に渋谷でお店をやるとしたら、まったく違うコンセプトになっていたはずです。もちろん、渋谷も幅広い世代が集まる街ではありますが、どちらかというと商業的な側面が強い場所ですよね。そこで、僕たちが思い描くダイナーのようなお店をつくることは難しいのではないかと。

      その点、新丸子はダイナーのコンセプトにぴったりです。実際、近くに「三ちゃん食堂」という昼飲みもできる大衆食堂があるのですが、そこはまさに連日連夜、多種多様なお客さんが入り混じっていますから。そんなふうに地域性とコンセプトが矛盾していないことって、かなり重要なポイントなんじゃないでしょうか。

       

      大事なことは「つねに100%ではない状況のなかで、いかに全力を出すか」

       

      ——お店をやられていると、さまざまな「不測の事態」が起こるかと思います。その最たるものとも言えるコロナ禍が、オープンから2年後に起きましたが、当時どのように対応されたのでしょうか?

      もちろん世の中的には大変なできごとですが、僕らとしてはあまり深刻にとらえていませんでした。むしろ、こんなときだからこそ何か新しいこと、おもしろいことができるんじゃないかと思いましたね。

      実際、テイクアウトを始めたり、この2年のあいだに2号店、3号店をオープンさせたりと、新しい展開も広がりました。コロナに限らず、不測の事態が起きたときには極力マイナスにとらえず、いかにその状況をおもしろくしていくか考えるようにしています。

      ——それは、なんともたくましいですね。

      そもそもお店って、つねに100%の状況で営業ができるわけではありませんから。急に機械が壊れるかもしれないし、スタッフが風邪をひくかもしれない。あるいは、何かしらのトラブルに巻き込まれる可能性もある。

      特に、僕らは若くして始めたぶん、いろんな失敗や苦労もありました。でも、そうやって失敗したり痛い目に遭ったりしつつ、一つひとつ乗り越えていきました。大事なことは、つねに100%ではない状況のなかで、いかに全力を出すか。お店を始めてからの4年間で、そう学びました。

       

      ブラウニーアイスクリーム

      ブラウニーアイスクリーム

       

      ——最後に、今後の目標や挑戦してみたいことを教えてください。

      「挑戦したいこと」はありません。だって、いままさに挑戦したいこと、やりたいことをやっているから(笑)。ビッグベイビーアイスクリーム以外に目黒にもお店をオープンさせましたし、最終的に、ビッグベイビーアイスクリームを拠点に、アイスが溶けない距離でレストランなど5つの形態のお店をつくる計画も着々と進行中です。

      ビッグベイビーアイスクリームの展望も、これまでどおりのことを続けていくというだけですね。そして、ゆくゆくは新丸子で30年以上続く、老舗のアイスクリームダイナーになりたい。その一心のみです。

      そのためにも、毎日いつもどおりの時間にお店を開け、美味しいアイスをつくり、お客さんに喜んでもらう。こうしてメディアに取り上げていただく機会も多いですが、奢らずに、同じ仕事を毎日続けていくことを大事にしていきたいと思います。

       

      ■プロフィール

      吉田康太郎

      BIG BABY ICE CREAM/NOON/PARLOR NOON オーナー

      株式会社DINER 代表。1994年生まれ神奈川県出身。

      大学在学中の2018年に新丸子にアイスクリームダイナー「BIG BABY ICE CREAM」をオープン。グッズ展開や卸製造も行う。2020年目黒に「New Asian Standard」をコンセプトに掲げたアジアンレストラン「NOON」、翌年に同ビル2Fに「PARLOR NOON」をオープン。

      https://www.bigbabyicecream.com/(※外部リンクに移動します)

      https://www.instagram.com/bigbaby_icecream/(※外部リンクに移動します)

       

      ■スタッフクレジット

      取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:服部桃子(株式会社CINRA)

       

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      Published: 2022年12月21日

      Updated: 2024年6月4日

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