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「草の根活動」でファンを増やした「センベイブラザーズ」黒字化の軌跡

地道に、謙虚に。草の根活動でファンを増やした「センベイブラザーズ」黒字化の軌跡
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榎並紀行

やじろべえ株式会社代表、編集者、ライター

概要

東京都江戸川区船堀にある笠原製菓。1960年創業の煎餅工場は5年前、倒産の危機にありました。起死回生の一手は、自社ブランドの立ち上げ。それまでの受託製造だけでなく、魅力的なオリジナル商品を開発・販売することでした。
仕掛け人は、2014年に家業を継いだ4代目社長の、兄・笠原健徳氏、工場長の、弟・笠原忠清氏。柔和な笑顔が印象的な健徳氏と、口数が少なく職人気質の忠清氏。兄弟でもある二人にちなんだブランド「SENBEI BROTHERS(センベイブラザーズ)」はじわじわと人気を拡大し、いつしかオンラインストアでは常に品薄状態に。倒産寸前から、わずか1年で黒字に転じる原動力となりました。
マーケティングやプロモーションにコストを割けない状況下で、いかにしてブランドの認知を高め、ファンを獲得していったのか。その歩みをうかがいます。

      倒産寸前の危機から生まれた「センベイブラザーズ」

       

      ――2014年に健徳氏が社長になられ、自社ブランド「センベイブラザーズ」を立ち上げる前は、かなり厳しい経営状況だったとうかがいました。

      健徳氏:笠原製菓は1960年の創業以来、主に煎餅の受託製造を行ってきました。企業から注文を受け、駅や空港でお土産として販売する煎餅を作ってきたんです。景気のいい時代もありましたが、リーマンショックや震災などの影響で注文が減り、煎餅の人気自体にも陰りが出てきて、どんどん売り上げは落ちていきましたね。2014年には当時の社長だった僕らの叔父に大きな病気が見つかり、同じタイミングで銀行からの融資もストップして。正直、絶望的な状況でした。

      地道に、謙虚に。草の根活動でファンを増やした「センベイブラザーズ」黒字化の軌跡

      煎餅の味には自信があったものの、経営状況は厳しかったそう

       

      ――当時、健徳氏は家業から離れていたそうですね。

      健徳氏:それまでは、20年ほどグラフィックデザインやウェブデザインの仕事をしていました。家業にはタッチしていなかったものの、実家の煎餅は好きでよく食べていましたし、何より、祖父の代から続く会社を簡単に諦めたくないと思ったんです。そこで僕が四代目を継ぎ、もともと工場長として笠原製菓の製造を担っていた弟と力を合わせてやっていくことにしました。

      ――それで「センベイブラザーズ」を立ち上げ、これまでの受託製造だけでなく、オリジナルの商品をつくって売っていくことなったのですね。従業員の方の反応はいかがでしたか?

      忠清氏:やはり、懐疑的な意見はありました。じつは、一番反対していたのは僕らの母親なんです。王道から外れることをして、失敗するイメージしか浮かばないと。ただ、僕らとしては「もうやるしかない」と思っていましたね。

      健徳氏:なんせ資金繰りがギリギリで、倒産寸前でしたから。徹底的にコストを見直して支出を削ると同時に、入ってくるお金を増やさないとどうにもならない。もうダメ元で「とりあえずオリジナルブランドを試させてほしい」と母親を説得しました。

      ただ、コストはかけられないから基本的に兄弟ですべてやるしかない。それでも手が足りない時は、パートさんにも空いた時間に袋詰めをお願いしたりして、なんとか協力を仰いでいましたね。売れ始めるにつれて周囲の理解も得られはじめ、だんだんと人を巻き込んでいったような感じです。そして、気づけば受託製造と同じくらい、センベイブラザーズの売上が増えてきました。

       

      イメージは「ニューヨークのホットドッグ」

       

      ――自社ブランドをつくるにあたり、何から始めたのでしょうか?

      健徳氏:パッケージとロゴのデザインです。というのも、弟が焼く煎餅は自信を持って美味しいと断言できる。中身は最高だから、あとは見た目と売り方。デザインとコミュニケーションを駆使して、お客さまとの接点を演出する必要がありました。そこは、僕のデザイナーとしての経験が活かせる部分でしたね。

      ――デザインされる際に、意識されたことはありましたか?

      健徳氏:稲穂をあしらったパッケージデザインは、もともとの笠原製菓のロゴマークがモチーフになっています。先代からの歴史を継承したい思いもありましたし、稲穂には「実るほど頭を垂れる」という意味もあります。ロゴマークにすることで、どんなに商売がうまくいっても常に謙虚であり続ける、商売人にとって大切なこの姿勢を忘れずにいられると考えたんです。

      また、毎日のように煎餅を食べてもらえるよう、ライフスタイルの一部に取り入れたくなるような見た目を意識しました。イメージしたのは、「街中でホットドッグをかじるニューヨーカー」です。そんなふうに煎餅を「おいしく、かっこいいもの」としてアイコン化できたらいいなと。

      地道に、謙虚に。草の根活動でファンを増やした「センベイブラザーズ」黒字化の軌跡

      健徳氏がデザインしたセンベイブラザーズのパッケージ

       

      ――商品はどのように広めていったのでしょうか?

      健徳氏:ひたすら草の根運動です。なるべく多くの人に届ける機会をつくるため、兄弟でいろんな場所へ出て行きました。工場の軒先以外に駅前でも販売したり、数ヶ月に一度は地元のマルシェにも参加しましたね。

      弟は職人ということもあり、誰とでも気軽にコミュニケーションできるタイプではありませんでしたが、積極的に店頭に立ち商品の説明をしてもらいました。やはり、つくり手本人が話をしたほうが、より伝わりますから。弟自身も、お客さまの反応を直に感じられるのは嬉しかったようです。

      ――商品だけでなく兄弟の存在も含めて、センベイブラザーズのブランドであると。

      健徳氏:そういう意識でやっていましたね。見た目や売り場での立ち振る舞いも、どうすれば魅力的に感じてもらえるか研究しました。ブランドカラーである紫色のハットをかぶり、ベストを着て、バーテンダーやホテルマンのように「おもてなし」をする感覚で店頭に立つようにしたんです。最初は売れない漫才師のような気持ちでしたよ。「センベイブラザーズです。今日は名前だけでも覚えていってくださいね」って(笑)。例え煎餅が売れなくても、服装やパフォーマンスだけでも印象に残れば、何かしら次につながるかもしれませんから。

      そんなふうに毎回、全力でコミュニケーションをしていたら、徐々に手応えを感じられるようになっていきました。SNSに嬉しいコメントがあったり、工場まで買いに来てくれるお客さまが増えたり。本当にじわじわ、という感じでしたね。

      地道に、謙虚に。草の根活動でファンを増やした「センベイブラザーズ」黒字化の軌跡

      イベントでの陳列やブースデザイン、衣装にもこだわった

       

      1年で黒字へ。秘訣は「多くを望まず、できることをやる」

       

      ――会社は1年で黒字へ転換し、センベイブラザーズの売上も右肩上がりで伸びていったそうですね。

      健徳氏:倒産寸前だった5年前と比較すると、およそ2倍の成長を遂げることができました。ただ、会社の規模や従業員の数は当時と変わっていませんし、基本的にはこれ以上の拡大をするつもりもありません。やはり一度どん底を味わっていることもあって、あまり多くを望みすぎないようにしよう、できることを精一杯やっていこうと。最近はコラボレーションのお話もいただくようになりましたが、うちのキャパシティーを超えるような大規模なプロジェクトの場合、お断りすることもあります。

      ――とはいえ、少しもったいない気もしますが……。

      健徳氏:そうですね(笑)。ただ、ブランドの品質を担保するためにもそこは適切に判断する必要があります。実は過去に、その判断を見誤り、失敗したこともあるんです。以前、マレーシアの高級住宅街にあるデパートに出店したことがあったのですが、僕らが海外に行くのは困難だったため、現地の販売員の方にセンベイブラザーズに似た格好をしてもらいました。ところが、さっぱり売れなくて。

      その時に「コピペじゃ通用しないんだな」と痛感しました。これまでは兄弟自らが売りに行くことを貫いてきたし、お客さまも直接のコミュニケーションに価値を感じてくれていた。そこはブレてはいけないんだなと。いまは出張販売のお話をいただいても、僕が動けない日程の場合はお断りさせていただいています。

       

      コロナ禍で実感した「種まき」の大切さ

       

      ――センベイブラザーズのキャラクターもさることながら、商品のラインナップもユニークです。定番の醤油やザラメ以外に「大葉ジェノベーゼ」「トリュフ塩」「チョレギ」など、多彩なフレーバーがありますが、アイデアは誰が考えているのですか?

      健徳氏:僕が考えて、弟に無茶振りしています(笑)。アイデアの種は、僕の煎餅に対する欲求ですね。「こういうのが食べてみたい」って弟に伝えると、彼がその意図を汲んで形にしてくれる。例えば、チョレギは僕が一時期「チョレギサラダ」にハマって、これを煎餅にしたいなと思いました。

      地道に、謙虚に。草の根活動でファンを増やした「センベイブラザーズ」黒字化の軌跡

      こちらが「チョレギ」。ほかに「にんにく」「あおさ塩」「チェダーチーズ」「極みワサビ」など豊富なラインナップ

       

      ――それはたしかに無茶振りですね(笑)。(忠清氏は、)正直どう思っているんですか?

      忠清氏:特に抵抗はないですね。受託製造の場合はいかにレシピに忠実につくるかが重要なのですが、センベイブラザーズは好き勝手にやらせてもらっています。兄も直接はあまり言わないんですが、職人としての自分の腕を信用してくれていることは伝わるので、それに応えたいという思いもありますね。

      ただ、どんなに変わったフレーバーでも、特に奇をてらったことはしていません。書道に例えると、基本的には同じ筆で同じ文字を書いているんだけど、ちょっと線を太くしてみたり、墨の色を変えてみたりしているだけなんですよ。

      ――いろいろ選べたら、お客さんも楽しいですしね。

      健徳氏:そうですね。そもそも、いろんなフレーバーをやってみようと思ったのも、お客さまとのコミュニケーションがきっかけだったんです。例えば、お酒のおつまみになる煎餅が欲しいという人や、料理のトッピングに使いたいという人など、お客さんとお話していると、思わぬニーズに気づかされます。だったら、もっとパンチの効いた煎餅をつくってみようかという具合に、新しい発想につながる。

      ――そういう意味でも、現場に立ち続けることが大事なんですね。

      健徳氏:そう思います。振り返れば、僕らはずっとダイレクトマーケティングをやってきたようなものです。お金がなく、他に手がなかったのもありますが、結果的にそれがいまにつながっていますから。

      ――今後も、地道にやれることをやっていくスタンスに変わりはないですか?

      健徳氏:はい。それと同時に、やや先を見据えた「種まき」もやっておきたいです。というのも、僕たちもコロナ禍でかなり打撃を受けましたが、なんとかしのげているのはこの5年で新しいお客さんやクライアントと関係性を築いてきたからだと思っています。

      この先も、商売は何が起きるかわからない。だからこそ、常に未来への種を巻いておかないと。例えば、またお話があれば、海外へ出店してみるのもいいかもしれません。今度はちゃんと現地まで行き、本気でやってみる。そうすれば、失敗したとしても貴重な経験になるはずですから。

       

      ■プロフィール

      SENBEI BROTHERS

      東京都江戸川区の「笠原製菓」のブランドであり、4代目・笠原健徳、同工場長・笠原忠清による兄弟ユニット。デザイナー出身の兄・健徳が商品企画やパッケージデザイン、プロモーション、販売を担い、弟・忠清が商品開発と製造を担当する。

      SENBEI BROTHERS ※外部リンクに移動します

       

      ■スタッフクレジット

      取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:服部桃子(株式会社CINRA)

       

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      Published: 2021年9月30日

      Updated: 2024年2月20日

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